文挾二荒山神社

主祭神

大己貴名(大国主命)

田心姫命

味耜高彦根命

東照大権現(徳川家康公)

 

日光二荒山神社、鹿沼今宮神社と同じ御祭神が祀られています。

建久年間、右大将源頼朝が日光三社権現に征夷を願うと、神徳赫赫、逆徒を平定し、大将軍を補任された後、日本六十六カ国の一国一郡を氏地として見立て、隣郷六十六カ村を神村として寄付され、村ごとにその中央に一箇の神塚を築き日光三社を勧請したと言われています。

日光東照宮建立以来、朝廷から幣帛を捧げる例幣使が参詣してきた崇敬厚い神社でしたが、明治以降旧村社として文挾の守り神として鎮座しています。

明治15年まで旧暦1月17日及び11月15日に食い祭りが行われていましたが、現在は1月の第2日曜日に行われています。

 

平成19年1月14日には神社本殿御開帳が行われました。次回の御開帳は60年後(平成79年)になる予定です。

 

境内には、このほか、星宮大明神(虚空蔵菩薩、経津主命、磐裂命、根裂命【正面右】)、八坂神社(須佐之男命【境内左】)、神明宮(大日霎貴【境内左】)、粟島神社(少彦名命【境内左】)、愛宕神社(軻遇突智神【境内左】)、稲荷神社(豊受姫命、稲倉魂命【境内右】)、三光神社(経津主命、磐裂命、根裂命【境内右】)、石尊神社(石凝姥神【境内右】)、子之神社(大黒天【境内右】)が祀られています。

 

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文挾宿郷倉(社倉)

文挾宿郷倉(社倉)【日光市指定文化財】

 

江戸時代、飢饉対策として米・麦・粟・稗などを貯蔵するために郷倉が建造されました。山崎闇斎が宋の朱熹による社倉法を紹介し、寛政改革に際し設置が奨励されました。この郷倉によって慶応年間の凶作時には、板橋・文挾宿等九か村の飢民が119石を拝借し餓死を免れました。間口3間、奥行2間で建坪6坪の建造物です。すべて栗材で建てられていましたが、栗の割木で葺かれていた屋根は大正10(1921)年にトタン板に葺き替えられました。幕末期、民衆の共同扶助という思想を示す建造物であり、旧日光領内に現存するものでは唯一であります。

彫刻屋台

彫刻屋台【日光市指定文化財】

 

繊細な彫りと大胆な彫りを適時に配して、彫刻図案構成の融合が図られています。その豪荘にして華麗な彫刻屋台の意匠構成となっています。
彫り様式、技術等から文化文政期(1804~1829)の建造説と明治15年の建造とする説があります。

文挾ため池

文挾村共有地として、古来より農業用水の安定供給や、地域の憩いの場として親しまれてきましたが、近年少しずつ土砂が堆積し、ため池の機能が低下してしまいました。そこで、ため池の復元とここに生息する動植物の保護をするため、地域住民や行政が協働して、文挾ため池復元検討プロジェクトを立ち上げ、平成17年に完成しました。農業用水利施設としてはもちろんのこと、貴重な親水環境として「文挾ため池ふれあいの里づくり協議会」を中心に維持管理活動が行われています。

平成21年度、農林水産省の「ため池百選」にノミネートされました。

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